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T-1は、航空自衛隊の中等練習機。愛称は初鷹(はつたか)プロペラ機による初等訓練を終えたパイロットが引き続いてジェット機による中等訓練を行うために製作された。第二次世界大戦後初の実用国産飛行機であると同時に、初の国産ジェット練習機でもある。2006年(平成18年)3月に全機が退役した。 == 開発経緯 == === 中等練習機国産化 === 1954年(昭和29年)7月1日に発足した航空自衛隊では当初、使用する機体は主力戦闘機のノースアメリカンF-86から、練習機も含めて全てアメリカ合衆国から支給されたものであった。初等練習機にT-34A、中等練習機にT-6、高等練習機にT-33Aを使用していたが、このうちT-6は第二次世界大戦期に高等練習機として用いられたレシプロ機であり、ジェット機のT-33との性能差が大きすぎるという問題があった。さらに着陸装置が戦前の尾輪式のため、離着陸時や地上での視界が両機と全く異なることなども欠点であった。 そこで防衛庁はT-6に代わる中等練習機を発足直後から検討しており、自衛隊での機体要望を12月までにはまとめ上げていたが、折りしも1956年(昭和31年)にはアメリカによる航空禁止が全面解除(1952年(昭和27年)に一部解除)されることとなっていたため、これを機に国産技術の回復を図ろうという気運が高まった。この動きはYS-11の製作に結びつくが、この際、中等練習機も国産化しようということになり、1955年(昭和30年)8月23日に航空幕僚長が防衛庁長官に空自の仕様案を提出、庁内でのアメリカ製を推す声を抑え、11月4日に国内開発を決定した。 空自が要求した仕様はおおむね以下のようなものであった。 * タンデム複座の中間練習機 * 推力1トンから1.2トンのエンジンを装備 * 最大速度420ノット(778km/h):制限マッハ0.85 * 上昇限度4万フィート(12190m)以上 * 上昇時間は高度3万フィート(9144m)まで13分以内 * 連続航続2時間 * 着陸速度・失速速度75ノット(139km/h) * 離陸距離600m以内 * 制限加重 +8G 当時ライセンス生産が始まったロッキードT-33Aと比べて、エンジン推力は半分ながら、性能面では一部凌駕するものであった。 防衛庁は12月、国内の機体メーカー4社に機体を公募した。国内航空最大手の新三菱はすでに戦闘機F-86Fのライセンス生産で多忙という理由で参加せず(実際は防衛庁の開発担当者が、帝大の同窓生だった三菱の東條輝雄に、他社の技術力育成のために譲ってくれと頼んだ話がある)、川崎航空機の応募「T1K1」、新明和工業「T1S1」、富士重工業「T1F1」が翌年3月までに出揃ったため、選考に入った。「K1」と「S1」がT-33と同じ直線翼にエアインテイクが機体両脇に設置されていたのに対し、「F1」はF-86を意識した鋭角な後退翼とエアインテークを機首に配置するなど、機動性が高いと考えられたため、7月11日にT1F1の採用を決定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「T-1 (練習機)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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